―サイトコンセプト―
★人生を楽しく、自由に生きる★
これが私の生きる目的でもあり、このサイトを作った理由でもあります。
人生を楽しく、自由に生きるためにはお金とは切ってもきれいない関係にあり、お金は「人生を楽しく、自由に生きる」ための手段であるという考えをお伝えするためにこのサイトを作りました。
最低限度の生活を維持し、生きていくためにはお金が必要です。まずはこの事実をしっかりと受け止め、お金の仕組みについて理解することが必要です。
お金とは、あくまで、人生を楽しむための道具の一つにすぎません。わずかなお金のために人を傷つけたり、だましたり、搾取する必要はありません。
そのようなことをしても、結局は自分自身の人生を楽しく自由に生きることはできないと思います。
「お金儲けすることは、悪」 「お金を儲けるためには非情にならなくてはいけない」 「お金など必要ない」 「そんなお金はない」 などお金に関することになると、あまり良いイメージはありません。
私はそのこと自体がお金に対する価値観や教育の間違いだと感じています。
そもそも、お金について学校や家庭で学ぶことすらないことが不思議だと思っています。社会にでればどんな形であれ、お金とかかわりを持ちます。望もうと望まないとは別にして、お金との関係が始まります。
お金は、悪でも、かけがえのないものでも、絶対的なものでもなんでもありません。
なにかと交換するための道具のひとつです。そのなにかが、必要なサービスであったり、生きるための食糧であったり、楽しくするための旅行であったり、便利な家電製品であったりするだけで、お金自体はただの紙切れです。
お金に執着すればするほど、人生を楽しく自由に生きることは難しいと思います。
頭では理解できても、この「お金は必要なものを手に入れる道具」ということを実践するのは難しいものです。
ですから、こんなにも毎朝朝早くに起き、満員電車に揺られ、ストレスを抱えながら仕事をする人が多いのだと思います。
今は私も、その一人なのかもしれません。
お金の仕組みを理解することで、お金にとらわれず、経済的な自立と自由を手に入れることが誰にでもできることをお伝えするためにこのサイトを作りました。
経済的な自立と自由を手に入れ、人生を楽しく、自由に生きるためのヒントになる言葉が、不労所得とキャッシュフローです。
お金の仕組みを解き明か経済的自由を手に入れるために、この不労所得とキャッシュフローの二つの言葉の意味を理解し、実践する方法をお伝えします。
金持ち父さんを目指す-お金と自由を手に入れるTOP
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これが私の生きる目的でもあり、このサイトを作った理由でもあります。
人生を楽しく、自由に生きるためにはお金とは切ってもきれいない関係にあり、お金は「人生を楽しく、自由に生きる」ための手段であるという考えをお伝えするためにこのサイトを作りました。
最低限度の生活を維持し、生きていくためにはお金が必要です。まずはこの事実をしっかりと受け止め、お金の仕組みについて理解することが必要です。
お金とは、あくまで、人生を楽しむための道具の一つにすぎません。わずかなお金のために人を傷つけたり、だましたり、搾取する必要はありません。
そのようなことをしても、結局は自分自身の人生を楽しく自由に生きることはできないと思います。
「お金儲けすることは、悪」 「お金を儲けるためには非情にならなくてはいけない」 「お金など必要ない」 「そんなお金はない」 などお金に関することになると、あまり良いイメージはありません。
私はそのこと自体がお金に対する価値観や教育の間違いだと感じています。
そもそも、お金について学校や家庭で学ぶことすらないことが不思議だと思っています。社会にでればどんな形であれ、お金とかかわりを持ちます。望もうと望まないとは別にして、お金との関係が始まります。
お金は、悪でも、かけがえのないものでも、絶対的なものでもなんでもありません。
なにかと交換するための道具のひとつです。そのなにかが、必要なサービスであったり、生きるための食糧であったり、楽しくするための旅行であったり、便利な家電製品であったりするだけで、お金自体はただの紙切れです。
お金に執着すればするほど、人生を楽しく自由に生きることは難しいと思います。
頭では理解できても、この「お金は必要なものを手に入れる道具」ということを実践するのは難しいものです。
ですから、こんなにも毎朝朝早くに起き、満員電車に揺られ、ストレスを抱えながら仕事をする人が多いのだと思います。
今は私も、その一人なのかもしれません。
お金の仕組みを理解することで、お金にとらわれず、経済的な自立と自由を手に入れることが誰にでもできることをお伝えするためにこのサイトを作りました。
経済的な自立と自由を手に入れ、人生を楽しく、自由に生きるためのヒントになる言葉が、不労所得とキャッシュフローです。
お金の仕組みを解き明か経済的自由を手に入れるために、この不労所得とキャッシュフローの二つの言葉の意味を理解し、実践する方法をお伝えします。
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―私の生い立ち―
私の生まれ育った環境をお話しますと、生まれは京都府亀岡市です。幼いころの記憶はあまりなく京都の思い出はほとんどありません。
小学校の低学年の頃になると母と父と兄の4人で狭く古く汚いボロアパートながらも一緒に暮らせるようになりました。
あまり両親から詳しい話は聞いていませんが、父の肩にある刺青と左手小指がないことを考えるとどうも「堅気」ではなかったようです。
ただ、小学校の低学年の頃の記憶は真面目に働きに行く父の姿を見ていますので、この頃には足をあらい普通に働いていました。
今思えばすごく貧乏だったと思います。しかしまだ小さかったこともあり、その生活が普通だと思っていました。
小学校の6年間だけで3度も引っ越しをしています。その理由が借金取りから逃げるためでした。
いつも、借金取りの人が家に尋ねに来ていた記憶があります。
今の取り立てと違い、昔はかなり厳しかったと思いますが、そこは元や○ざとその妻、子供たちです。すごまれても平気な顔をしていました。
親父の方が怖かったので、すごんでくる人がそんなに怖くありませんでした。。。
ただ、貧乏だった理由は収入がなかったり少なかったわけではなく、道楽ものの父のギャンブルと女ぐせの悪さだっと思います。
真面目に働いて当時で40~50万ぐらいの月収はあったと記憶しています。
いつも泣いている母の姿を見ていました。
しかし、父が元気で働けたのも十数年間だけで、私が高校に入る頃には、糖尿と高血圧、C型肝炎で通院し働けるような体ではなくなり、生活保護を受けていました。
そのため、兄は高校に進学せず中学卒業後すぐに働きにでました。
私は、高校だけでも卒業したかったので、公立高校合格を条件に受験し、合格できましたので高校に通えることになりました。
授業料は低収入者用の減免制度を利用し、交通費や普段のお小遣い、ほしいものは自分でアルバイトをしなんとか高校だけは卒業することができました。
こどもの頃から金銭的な面で親に甘えた記憶はありません。高校入学後はすべて自分で働いたアルバイト代でほしいものは購入していました。
思春期ですので、バイクの免許を取り大型バイクを購入しましたが、毎月きちんとアルバイト代を貯金し購入しました。
この頃から金銭的な基礎や考え方はできていたのかもしれません。
お金にルーズな両親を反面教師にしていたのかもしれません。
ただ、同じ環境で育った兄は、今現在も相も変わらずお金にルーズです。両親とそっくりでパチンコなどのギャンブルに夢中です。私は一切ギャンブルはしません。
ギャンブルをする人は投資をするべきではなりません。自分のお金、支出をコントロールできない人が投資を成功できるとは思わないからです。
一般の人とは少し違った環境で私は生れ、育ちました。貧乏な環境、ギャンブル好きな家庭で育ちましたが、私自身はアルバイトを始めお金を手に入れ始めてからきちんとお金を貯める習慣はありました。
どこか小さいながらにも両親をみていたのだと思います。反面教師として。
そんな父も2005年11月に亡くなりました。。。
いつもそばにいるのが当たり前だった父が今はいません。道楽もので、周りに迷惑ばかりかけていて好き勝手な人生を生きた父ですが、そんな父が私は大好きでした。
亡くなる2年前に脳こうそくのため、集中治療室に運ばれ、お医者さんからは「覚悟して下さい」と言われましたが、なんとか命を取り止めました。
しかし、その時の後遺症で左半分が麻痺し言葉もうまくしゃべれなくなりました。入退院を繰り返し最後は苦しむことなく、静かに息をひきとりました。
まだ68歳でした。まだまだ元気な方の多い歳だと思います。
いつか必ず訪れる 「死」 というものを普段は意識することなく、生活をしています。
私自身、居るのが当たり前だった父を亡くして初めて、身近に死を感じました。分かっているようでわかっていませんでした。
あらためて、死という現実を感じ自分がなにをすべきか、どういった人生を送るべきかをあらためて考えさせられました。
普段は死を意識することなどありませんが、100%確実にいつかは訪れる現実があります。避けては通りない道です。
父の死を目の当たりにし後悔、悔いのない人生を送りたいと強く決意しました。
限られた時間をどう生きるかを考え、仕事やお金に囚われない人生を送るために不動産投資を続けたいと思います。
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私の生まれ育った環境をお話しますと、生まれは京都府亀岡市です。幼いころの記憶はあまりなく京都の思い出はほとんどありません。
小学校の低学年の頃になると母と父と兄の4人で狭く古く汚いボロアパートながらも一緒に暮らせるようになりました。
あまり両親から詳しい話は聞いていませんが、父の肩にある刺青と左手小指がないことを考えるとどうも「堅気」ではなかったようです。
ただ、小学校の低学年の頃の記憶は真面目に働きに行く父の姿を見ていますので、この頃には足をあらい普通に働いていました。
今思えばすごく貧乏だったと思います。しかしまだ小さかったこともあり、その生活が普通だと思っていました。
小学校の6年間だけで3度も引っ越しをしています。その理由が借金取りから逃げるためでした。
いつも、借金取りの人が家に尋ねに来ていた記憶があります。
今の取り立てと違い、昔はかなり厳しかったと思いますが、そこは元や○ざとその妻、子供たちです。すごまれても平気な顔をしていました。
親父の方が怖かったので、すごんでくる人がそんなに怖くありませんでした。。。
ただ、貧乏だった理由は収入がなかったり少なかったわけではなく、道楽ものの父のギャンブルと女ぐせの悪さだっと思います。
真面目に働いて当時で40~50万ぐらいの月収はあったと記憶しています。
いつも泣いている母の姿を見ていました。
しかし、父が元気で働けたのも十数年間だけで、私が高校に入る頃には、糖尿と高血圧、C型肝炎で通院し働けるような体ではなくなり、生活保護を受けていました。
そのため、兄は高校に進学せず中学卒業後すぐに働きにでました。
私は、高校だけでも卒業したかったので、公立高校合格を条件に受験し、合格できましたので高校に通えることになりました。
授業料は低収入者用の減免制度を利用し、交通費や普段のお小遣い、ほしいものは自分でアルバイトをしなんとか高校だけは卒業することができました。
こどもの頃から金銭的な面で親に甘えた記憶はありません。高校入学後はすべて自分で働いたアルバイト代でほしいものは購入していました。
思春期ですので、バイクの免許を取り大型バイクを購入しましたが、毎月きちんとアルバイト代を貯金し購入しました。
この頃から金銭的な基礎や考え方はできていたのかもしれません。
お金にルーズな両親を反面教師にしていたのかもしれません。
ただ、同じ環境で育った兄は、今現在も相も変わらずお金にルーズです。両親とそっくりでパチンコなどのギャンブルに夢中です。私は一切ギャンブルはしません。
ギャンブルをする人は投資をするべきではなりません。自分のお金、支出をコントロールできない人が投資を成功できるとは思わないからです。
一般の人とは少し違った環境で私は生れ、育ちました。貧乏な環境、ギャンブル好きな家庭で育ちましたが、私自身はアルバイトを始めお金を手に入れ始めてからきちんとお金を貯める習慣はありました。
どこか小さいながらにも両親をみていたのだと思います。反面教師として。
そんな父も2005年11月に亡くなりました。。。
いつもそばにいるのが当たり前だった父が今はいません。道楽もので、周りに迷惑ばかりかけていて好き勝手な人生を生きた父ですが、そんな父が私は大好きでした。
亡くなる2年前に脳こうそくのため、集中治療室に運ばれ、お医者さんからは「覚悟して下さい」と言われましたが、なんとか命を取り止めました。
しかし、その時の後遺症で左半分が麻痺し言葉もうまくしゃべれなくなりました。入退院を繰り返し最後は苦しむことなく、静かに息をひきとりました。
まだ68歳でした。まだまだ元気な方の多い歳だと思います。
いつか必ず訪れる 「死」 というものを普段は意識することなく、生活をしています。
私自身、居るのが当たり前だった父を亡くして初めて、身近に死を感じました。分かっているようでわかっていませんでした。
あらためて、死という現実を感じ自分がなにをすべきか、どういった人生を送るべきかをあらためて考えさせられました。
普段は死を意識することなどありませんが、100%確実にいつかは訪れる現実があります。避けては通りない道です。
父の死を目の当たりにし後悔、悔いのない人生を送りたいと強く決意しました。
限られた時間をどう生きるかを考え、仕事やお金に囚われない人生を送るために不動産投資を続けたいと思います。
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―お金に目覚めたきっかけ―
・15歳の高校入学のころに初めた、飲食店のアルバイトがきっかけで、料理の世界に興味を持ち、卒業と同時に料理人の世界へ修行することにしました。高校時代を入れると、約12年間料理の世界で過ごしてたことになります。
・2000年26歳のころ、独立(自分の店を持つ)を強く意識するようになり、その後繁盛店の作り方、小さなお店の作り方などの本を読んでいるときに、ふと本屋さんに 「金持ち父さん貧乏父さん」 ロバート・キヨサキ著 の本を見かけたので、最初は、「なんか面白そうな本だなぁ~」と軽い気持ちで購入し、読みました。その結果、人生の目標が大きく変わるほどの衝撃と影響をうけました。
・人生の目標を 「自分の店を持つ」 から 「経済的な自由を手に入れる」 に変更し、自分の店はいつでもできる。今、自分に足りない技術を学ぶべきと思うようになり、思い切って、営業の仕事へ転職しました。
周りからはかなり反対されました。あまり人としゃべるのが、得意ではないこと、一日中もくもくと、仕事をする、職人気質な性格も、変えなければいけませんでした。せっかくこれまで学んできた、料理師としてのキャリアを捨てることに対して抵抗がありました。
しかし、経済的自由を手に入れたい。という強い決意は変わることがなく、チャレンジする道を選び、営業の仕事に転職しました。
・経済的自由を得る方法として、不動産にターゲットを決めました。しかし、具体的にどう行動すれば、自由になれる?不労所得はどうすれば手に入る?不動産はどうやって手に入れる?
となにをしてよいのか見当もつかず、不動産がほしいなら、内側に入ってしまえと安易な考えで、業界へ転職しました。
・不動産業界もたくさんの業種がありますが、職を転々とする中で「サラリーマンでも「大家さん」になれる46の秘訣」 藤山勇司著 「お宝不動産で金持ちになる!-サラリーマンでもできる不動産投資入門」 沢孝史著 などの書物を読みました。
この2作は名著だと思います。不動産のことを全然知らないときの私でも、わかりやすく、読みやすい内容です。これから不動産投資を考えている方で、まだ読まれていない人は、だまされたと思って読んで見てください。
本を読む勉強と、仕事で実際の不動産の勉強と両方を経験し、2004年11月一件もの収益不動産を購入しました。賃貸の仕事を選んだのも「より現場に近づきたい」と思ったからです。
収益を上げる基本は、お客さん=入居者の確保が重要です。入居者がいなければ、当然収入は 0 です。入居者のニーズを的確に把握するためには、入居者に直接聞くのが一番!!と思い、賃貸の営業の仕事も経験しました。
調理師をやめて、営業職に転職したのも、不動産業界へ転職したのも、不動産売買の仲介の営業をしているのも、すべて経済的な自由を得るための勉強のためだと思っています。
不動産の営業の仕事で「元調理師」というのは、まれ だと思います。普通、調理師が転職する場合でも、働く場所であるお店や会社を変えるだけで、基本的にはコックとして調理をする仕事をします。なかなか他業種への転職は少ない職種だと思います。
金持ち父さんを目指す-お金と自由を手に入れる
・15歳の高校入学のころに初めた、飲食店のアルバイトがきっかけで、料理の世界に興味を持ち、卒業と同時に料理人の世界へ修行することにしました。高校時代を入れると、約12年間料理の世界で過ごしてたことになります。
・2000年26歳のころ、独立(自分の店を持つ)を強く意識するようになり、その後繁盛店の作り方、小さなお店の作り方などの本を読んでいるときに、ふと本屋さんに 「金持ち父さん貧乏父さん」 ロバート・キヨサキ著 の本を見かけたので、最初は、「なんか面白そうな本だなぁ~」と軽い気持ちで購入し、読みました。その結果、人生の目標が大きく変わるほどの衝撃と影響をうけました。
・人生の目標を 「自分の店を持つ」 から 「経済的な自由を手に入れる」 に変更し、自分の店はいつでもできる。今、自分に足りない技術を学ぶべきと思うようになり、思い切って、営業の仕事へ転職しました。
周りからはかなり反対されました。あまり人としゃべるのが、得意ではないこと、一日中もくもくと、仕事をする、職人気質な性格も、変えなければいけませんでした。せっかくこれまで学んできた、料理師としてのキャリアを捨てることに対して抵抗がありました。
しかし、経済的自由を手に入れたい。という強い決意は変わることがなく、チャレンジする道を選び、営業の仕事に転職しました。
・経済的自由を得る方法として、不動産にターゲットを決めました。しかし、具体的にどう行動すれば、自由になれる?不労所得はどうすれば手に入る?不動産はどうやって手に入れる?
となにをしてよいのか見当もつかず、不動産がほしいなら、内側に入ってしまえと安易な考えで、業界へ転職しました。
・不動産業界もたくさんの業種がありますが、職を転々とする中で「サラリーマンでも「大家さん」になれる46の秘訣」 藤山勇司著 「お宝不動産で金持ちになる!-サラリーマンでもできる不動産投資入門」 沢孝史著 などの書物を読みました。
この2作は名著だと思います。不動産のことを全然知らないときの私でも、わかりやすく、読みやすい内容です。これから不動産投資を考えている方で、まだ読まれていない人は、だまされたと思って読んで見てください。
本を読む勉強と、仕事で実際の不動産の勉強と両方を経験し、2004年11月一件もの収益不動産を購入しました。賃貸の仕事を選んだのも「より現場に近づきたい」と思ったからです。
収益を上げる基本は、お客さん=入居者の確保が重要です。入居者がいなければ、当然収入は 0 です。入居者のニーズを的確に把握するためには、入居者に直接聞くのが一番!!と思い、賃貸の営業の仕事も経験しました。
調理師をやめて、営業職に転職したのも、不動産業界へ転職したのも、不動産売買の仲介の営業をしているのも、すべて経済的な自由を得るための勉強のためだと思っています。
不動産の営業の仕事で「元調理師」というのは、まれ だと思います。普通、調理師が転職する場合でも、働く場所であるお店や会社を変えるだけで、基本的にはコックとして調理をする仕事をします。なかなか他業種への転職は少ない職種だと思います。
金持ち父さんを目指す-お金と自由を手に入れる

ハンドルネーム レフティー
住所 大阪市
生年月日 1974年(昭和49年)生
現在、不動産売買営業の仕事をしています。
不動産仲介業務を中心に仕事をしていますが、以前は競売や投資用不動産、賃貸などの営業もしておりました。
現在4件の不動産を所有してます。これからどんどん増やしていく予定です。
―簡単な経歴紹介―
1993年 高校卒業後コックの世界へ
・イタリア料理の調理師として修業
2002年 営業会社へ転職
・バリバリイケイケの飛び込み営業の仕事を経験基本的なセールスの技術を学ぶ
2004年 不動産業界へ転職
・土地の仕入れ
・投資用ワンルームマンションの販売
・抵当流れ(競売)の代行業
・賃貸の部屋付け営業の仕事、賃貸の仲介業など、職を転々とした時期です。
2006年 大手不動産仲介業へ転職
現在は、自宅用不動産売買を中心に不動産売買仲介の仕事をしています。
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